空き家を探す

2021年05月13日
たにべえ

雲南市が舞台の映画『うん、何?』を移住者が観てみた感想



こんにちは。市民ライターのたにべえです。
最近、『東京卍リベンジャーズ』も最新話まで見終わったし、『呪術廻戦』もアニメ終わったし、『進撃の巨人』も終わったしで、観るものがないなぁ…と思っていたところ、たまたま、雲南市を舞台にした映画『うん、何?』を観る機会がありました。
そこで、今日は僕なりに、映画『うん、何?』の感想を書いてみようと思います。ちなみに僕は映画について素人なのでご了承ください。
最近観て面白かった映画は『レディ・プレイヤー1』。好きなシリーズは『スターウォーズ』と『ハリーポッター』。
1番好きな映画は『アマデウス』と『モテキ』。という定番王道野郎なので、完全な自己満足コラムであることはあしからず。



※注意
本コラムは若干のネタバレを含みますので、嫌な方はブラウザバック推奨です。






まずは、映画『うん、何?』ってなんやねん、という方のために概要をウィキペディアさんよりご説明いただきます。
以下、ウィキペディアより。

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【概要】
島根県雲南市が舞台の映画。
監督は映画『白い船』や『ミラクルバナナ』などで監督を務めた錦織良成。
キャッチフレーズは「ここで生まれ、ここで生きる。」
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2008年の映画で、錦織良成監督の島根3部作のうちの2作品目にあたるようです。
その他の島根3部作についてはググってみてください。ほかの作品は僕もまだ観ていません。


『うん、何?』のあらすじはこんな感じ↓
高校3年生の主人公、鉄郎は進路や幼馴染の多賀子への想いを伝えきれないことに悩んでいます。
そんな鉄郎を中心に、高校生活最後の夏休みに様々な出来事が雲南市の美しい風景を舞台に起こります。


作品を通して、移住歴2年の僕でも「あ!これ、あそこじゃね?」とわかるくらい知っている場所がたくさん出てきて、
観ているだけで結構テンションがあがりました。
雲南市に住んでいる方や、住んだことがある方は懐かしく感じるでしょうし、
住んだことがない方も、自分のふるさとの景色と重なる部分があるのではないかなと思います。
物語の中心は高校生たちなので、皆さんの甘酸っぱい思い出がよみがえるかもしれませんね(笑)。


さて。ここからは、僕が『うん、何?』を通して感じたことを書きたいと思います。
実は、この映画のあるシーンを観て「2回観よう」と思ったんですよね。
1回目は素直に主人公たちと同じ視点で物語を観てみて、2回目は少し疑問に思った事をテーマに置いて観直しました。
その中で、僕なりにこの作品から受けた印象が大きくわけて2つありますのでご紹介します。


 

1)ふるさとの呪縛
この作品を主人公の鉄郎と同じ視点で観ていると、田舎に若者を縛り付けようとする呪縛のようなセリフが所々で出てくるなと感じました。
例えば、作品冒頭で鉄郎達が地域の宴会みたいなものに出席するシーン。
そこで地域のおじさんから進路について質問されます。鉄郎は進路に悩んでいるのですが、県外に出ていく可能性もあることを知ったおじさんは
「若い人はすぐに外に出て行ってしまって~」と愚痴をこぼします。
一見“田舎あるある”の1場面ですが、そもそも県外に出るか出ないかは本人が決めるべきことで、鉄郎を他の「若い人」と一括りにして愚痴を言うのは違うんじゃないですか。と思ってしまいました。
愚痴を言われた鉄郎はその場で反論をすることもなく、しばらくして、知り合いのおばさんの配慮で宴会を抜けることに成功し、鉄郎達はこっそり喜びます。
この場面こそ、『ふるさとの呪縛』から逃れたいと望む若者の気持ち表しているかのような、そんなシーンだと感じました。
フィクションの中に“田舎あるある”というノンフィクションが紛れ込んでいることで、すごくリアリティがあり、かつて田舎に住んでいた誰もに起こり得た(起こりうる)、嫌な記憶の一端をみせられているような気持ちになりました。
誰もに起こり得るということは、移住を期に田舎で暮らすことになった僕の子どもたちにも起こるかもしれない。『ふるさとの呪縛』にすでに片足を突っ込んでいる。彼女たちが高校生になり、鉄郎と同じ立場になれば、経験するかもしれない。ふるさとに住むということはそういうことなのかもしれません。
ここでキャッチフレーズの「ここで生まれ、ここで生きる。」という言葉がずっしりと僕の心に重くのしかかってきたような、そんな気がしました。

また、鉄郎の担任、尾崎先生が特別授業と称して市内を自転車で巡り、生徒たちにこんなことを伝えます。
「俺は地元のことを知らずに出て行ってしまう若者が多いことがほんとに悲しい。地元のことを知らずに、原宿やら渋谷やらを知ってどうする。」
実際のセリフは少し違ったと思います(すみません、完全に記憶してません。)が、このシーンを観たとき「これもまた呪縛の1つだな。」と感じました。
しかしそれと同時に、「田舎の人はどうしてこんなことばかり言うんだろう。“田舎あるある”ってそもそも何なん?」と疑問に思いました。冒頭で書いた「2回観よう。」と思ったきっかけとなったのがこのシーンです。
なぜ、尾崎先生はこんなことを生徒に伝えるのか。そもそも、これは本当に田舎の若者を縛り付ける呪縛のようなセリフなのか。
この想いや行いの根源は何なのか。僕なりに考えてみたところ、これは『郷土愛の歪み』によるものではないかという仮定にたどり着きました。



2)郷土愛の歪み
鉄郎視点でこの作品を観ると、『ふるさとの呪縛』を強く感じましたが、尾崎先生の特別授業のシーンを観て、『ふるさとの呪縛』の正体(根源)は、『歪んだ郷土愛』にあるのではないかと考えました。
そこで“歪み”の正体を語る前に、そもそも『歪みのない郷土愛』、『純粋な郷土愛』とはどんなことかイメージをしてみました。
例えば冒頭の宴会で愚痴をこぼしてしまう地域のおじさん。彼の“郷土愛”とはどのように形成されたものでしょうか。
このおじさんは生まれ育った地で進学し、就職し、結婚し、子供が生まれ、孫も生まれ、人生の一大イベントをこの土地とともに歩んできたとします。
当然、この土地に長く住めば、先人の知恵や文化に触れ、歴史を感じ、それを誇らしく思って生きてきたことでしょう。じいちゃん、ばあちゃん、父ちゃん、母ちゃん、一族みんな生涯地元です。これを『純粋な郷土愛』がある状態だとします。「自分は地元が誇らしいし、好きなんだ!」と思っている状態です。この時点では、おじさんの内面に好きという気持ちがあります。

『純粋な郷土愛』を持った状態がわかったところで、次に『郷土愛の歪み』について考えていきたいと思います。
結論からいうと、その正体は「自分が愛した地域の魅力を共有したい。」という1種の承認欲求なのではないかと考えました。
どうゆうこと?ってなると思うので1つ1つ確認をしながら書いていきたいと思います。まず、前提としてですが、おじさんがおじさんの中で“郷土愛”を持ち続けることは決して悪いことではありません。しかし、少しでもそれを「他人に認めてほしい。」と思い始めるとどうなるでしょうか。
内面にあった気持ちを、外部の人に承認して欲しいと願うようになります。それも世代を越えて、価値観の違う若者にも求め始めるのです。
この過程で『純粋な郷土愛』は歪んでいくような気がしたのです。他己承認を求め始めると、当然、承認してくれない若者も出てきます。
その結果、「最近の若い人は地域のことも知らずにすぐに外に出てって…」と若者を否定し始めてしまいます。それによってマウントすら取ってしまうから本当に厄介です。やられる方は不快以外のなにものでもありません。この時点で、内面にあった「ただ地元が好き」という“郷土愛”の本質が、若干、歪み始めている気がしませんか?
ここでおじさんや尾崎先生のような人が厄介なのは「自分の郷土愛を若者に承認してもらおう。」という欲求により、若者に説教をしてしまう自分の行為を、
『純粋な郷土愛』を持っているが故の行為だと肯定的に捉えてしまっているというところです。(もしくは、それが自身の承認欲求によって引き起こされているという自覚がないのだと思います。)「あいつらにはわからない。」というマウント取り。前述したとおり、ここでいう『純粋な郷土愛』とは、あくまで内面に収まる部分であり、自分の外側に同調、承認を求めることは個人の承認欲求でしかないのではないかと作品を通して感じました。
つまり、承認欲求によって歪められた“郷土愛”を、『純粋な郷土愛』と勘違いした大人の言葉の数々が、たくさんの人が経験したおせっかいおじさん(おばさん)にされたことのある“田舎あるある”の正体であり、『ふるさとの呪縛』の根源ではないかと作品を通して感じました。

この作品の尾崎先生は、そういった“歪み”も含めて、全力で「地域を愛する」ということを体現しています。まっすぐにそれを“正義”だと信じています。
先生の言葉「俺は地元のことを知らずに出て行ってしまう若者が多いことがほんとに悲しい。地元のことを知らずに、原宿やら渋谷やらを知ってどうする。」にあるように、「若者にも俺の好きな地元のことを知ってほしい!」という欲求を生徒にしっかりとぶつけています。尾崎先生という役は、特別授業を通して、この作品の中で描かれる“田舎あるある”の本質的な部分を僕に考えさせてくれたように思います。

このように、鉄郎の立場で観た時と違って、2回目に1つの問いを持って観ることで、今のセリフは強がりではないか。とか、
承認欲求が満たされない故の言葉ではないか。とか、本当はどんな風に考えているんだろうか。と、考えを巡らせる楽しみが増えました。
もしもこれから観られる方は、鉄郎の視点では嫌なイメージだったシーンも、なぜこんな言葉をこの人は言っているんだろうか。と少し考えてみると面白いかもしれません。

ここまで大きく2つの印象について書きましたが、
作品を観た後に1番強く残ったのは、やはりキャッチフレーズの「ここで生まれ、ここで生きる。」という言葉です。
僕自身は移住者で、田舎にも住んだことがない子どもでした。だからこそ、この作品で描かれている“田舎あるある”の経験を自分の子どもがするのかもしれないと思うと、そのとき彼女たちは何を感じるんだろうな、と不思議な気持ちになります。
移住者として、その地域を子どもたちの“ふるさと”にするということは、そういった部分もひっくるめて覚悟をしなければいけない。


僕は移住者にこそ観てほしい映画だと思います。


そして現在、“ふるさと”に住んでいない人も「ふるさとで生まれ、ふるさとに生きている」。
今のあなたを作る要素には、“ふるさと”で過ごした時間も含まれていて、
“ふるさと”で過ごした時間も大切な時間であると思います。
もちろんその時間を大切に“ほかの場所”で生きていくこともあっていいと僕は思いますし、
“郷土愛”を持ち続けること、住みはしないけれど地元に関わるという生き方もあると思います。

作品の最後のシーン。
鉄郎が想いをよせていた多賀子と須賀神社にお参りに行くシーンで幕をとじます。
「須賀神社の須賀って、スサノオノミコトが「この地は、なんてすがすがしい場所なんだ」って言ったのが由来らしいよ。」と。
鉄郎も少しだけ地元のことを知り始めました。これからどんな大人になるのか。芽生え始めた“郷土愛”。
どうか変な“歪み”に影響されることなく、育まれることを祈りたいなと思います。

※コラム内で出てくるセリフと作中のセリフには相違があると思います。
僕の受け取ったメッセージに寄せた表現が混じっているかもしれません。


最後になりましたが、“郷土愛”とは自然に育まれるべきだと僕は思います。
僕が作品を通して感じた“郷土愛”の強要や『郷土愛の歪み』は現実にも起こっていることなのかもしれません。
幸い、僕の住んでいる地域のことを僕の子どもたちは自然に好きになってくれているように思います。

だからこそ、雲南市に移住して良かったなとも思っています。


さて、今回は雲南市を舞台にした映画『うん、何?』の感想を僕なりに書いてみました。
もっときちんと、場面場面で考察しても面白かったかもしれませんが今回は全体を通してざっくりした感想を。

きっとコロナ禍で大型連休も何もできず…という人もいたのではないかと思うので、連休前に更新できればよかったのですが、
連休明けに観てしまったので間に合いませんでした。
みなさんも、ぜひ観てみてください。そして、みなさんの感想をぜひ教えていただきたいと思います。
ちなみにサブスクの動画配信サービスでは観れないと思いますので、久しぶりにレンタルビデオ屋さんに行ってみてください(笑)。

それでは、また次回のコラムで。最後まで読んでいただきありがとうございました。


【参考URL(ウィキペディア)】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%82%93%E3%80%81%E4%BD%95%3F

【『映画 うん、何?』予告編】
https://eiga.com/movie/53965/video/

【雲南市ホームページ『映画 うん、何?』】
https://www.city.unnan.shimane.jp/unnan/kankou/spot/eigaunnan/index.html


 


【ライター紹介】
たにべえ。平成生まれ平成育ち。2019年春~広島→雲南。
少年時代の転校ラッシュで培った「どこでも誰とでも仲良くなる精神」が田舎でどこまで通用するか実践中。
お酒大好き。3児の父。週7バスケのバスケバカ。