空き家を探す

2022年03月24日
たにべえ

トウキョウ


今日も朝から暑い。社会の歯車として生きているこの暮らしにも誇りはある。
家族が家で待っている。今日もこの通勤大行列のペースに合わせて出社だ。
女王の機嫌が悪いらしい。今日は残業かもしれない。

私は有本。36歳。妻と娘の3人家族で地下30階の低層マンションに住んでいる。35年のフルローンだが都内に夢のマイホームを手に入れた。
男子大学生の1人暮らしのような薄暗い部屋の明るさがちょうどいい。落ち着く。平凡な幸せだが、私にとっては大切な幸せだ。
人間の世界では上に行けば行くほど住宅の価値が上がると聞いた。高層マンション、通称『タワマン』というらしい。
我々アリには理解しがたい。我々の世界では地下に行けば行くほど家の価値は上がる。
まったく、何を好き好んで空の近くに、日当たりの良い明るい家に住むのか。意味が分からない。日陰が一番。土の中が一番である。

今では『アリの東京』なんて呼ばれているこの辺りも、昔は人間の子供に穴をほじくられ破壊された家がいくつかあった。
そのたびに地域のアリ同士で協力して助け合った。その名残として『自治蟻会』の活動のが今もあるが、古くから住む地元のアリのみで構成されている。
近年は家を壊す人間の子供が減少しており、一気に都市化が進んだため地域とのつながりも希薄になってきているのだ。

私が小さい頃は地元でも有名なおじさん『有野谷さん』によく怒られたものだ。
人間が落とした甘いお菓子に群がっていると「アブねぇ!踏まれるじゃろうが!!いやしいのぉ!!」と有野谷さんは私たちを強く叱った。
「うっさいアリのダニ!!アリかダニかはっきりせぇや!」とまったくおもんないいじりを受け入れてくれていたのも、今となっては見守り活動の1つだったのだと思うと泣けてくる。
そんな私も家族を持った。近頃は涙もろくなっていけない。
有野谷さんは昨年他界した。
女王への食材を運ぶ重要な任務に就いていたが、その道中『カブトムシの幼虫の寝返り』に巻き込まれたと聞いた。不慮の事故だった。


昨年生まれた娘が4足歩行を始めた。人間に踏まれない術を学ぶため4月から保育園に通う。
初めての社会である。友達がたくさんできてアリのぬくもりを感じて成長してほしい。今から心配をしている私も親バカだ。

街は発展を遂げ都市化が進んでいる。『蟻口』も上昇傾向であると今朝のニュースで言っていた。自然増が止まらないらしい。
どうやら人の世界ではこの辺りは過疎が進んでいる様子だ。どうりで都市化が進むわけだ。
そんなことを考えていると「ういっすぅ。」という気の抜けた声が後ろから聞こえた。同期の『有原』である。「今日『Arik☆Tack』でさぁ。」と有原は続ける。
有原はミーハーだ。流行りにはなんでも飛びつく。

蟻界のSNSは人間界と相違ない時期に台頭した。が、私がSNSに興味を持ったのは33歳の時だった。
33歳はSNSを始めるのに絶妙な年齢だと思う。31歳ならいいと思う。32歳も31歳に近い32歳であれば問題ない。一番難しいのは33歳に近づいた32歳と33歳である。
33歳のSNSデビューはまぁまぁ痛い目を向けられる気がしている。30代の3年間そーゆうのに興味を示さなかったくせに、33歳で始めるんかい。と思われる。3年の様子見なんだったん?とも思われる。
自意識の塊といわれればそうかもしれないが、やっぱり私は今更おじさんが初めてもなぁ…。と思うので、36歳になった今は内緒でツイッターだけ鍵垢にして運用している。結局開設しちゃっているが、
フォロワーは主に好きなお笑い芸人と推しのアイドルのみとしている。

そんな私と相反して、有原はSNSを始めるのが早かった。そんな有原は毎朝私の顔を見る度近づいてきてSNSで見たホットなニュースをあたかも自分の知識としてひけらかしてきた。
だから私はこの男があまり好きではない。

「今日さ、『アリの東京』破滅説ってのをやってるアカウント見つけてさぁ。」「ふーん。」適当に聞き流そう。
「今日!まさに今日らしいんやけど『アリの東京』になにかしらの災害が起こるって予言があるらしくて!やばくない!?」
なにかしらの災害ってなんや。曖昧、とても曖昧。そんなもん信じてんと働いてくれ。そもそもあの手の『滅びの予言』紹介アカウントは何なんだ。
どうやってお金を稼いでいるんだ。あれを使って広告したいと思う企業がいるということか。世の中何が当たるかわからない。などと思いながら有原の話を聞き流していた。

そうこうしているうちに『溝の蓋交差点』に着いた。ここは信号が変わるのも早い。雨の日は通行禁止だ。
いつもは土の上を進む私たちも、アスファルトの溝の蓋の上を通らなければならない。さらにここは人間にもっとも見つかりやすい魔の交差点。
有原が横で何かしゃべっているが集中しないと足を滑らせて溝に落ちてしまうという危険もある。通勤も命がけだ。これがサラリーマンの性である。
「ぽっぽ…。ぽっぽ…。」と信号が青になった合図が鳴り響く。私はいそいそと進む。
信号機の点滅が始まった。はやい。ここの信号マジで赤になるの早い。有原というお荷物は引き続きしゃべっているが、今日は置いていくしかない。
「有原!すまんが今日は忙しくなりそうなんだ!置いていくぞ!」

そうして有原を置いて駈け出そうとした私は一瞬の出来事に気付かなかった。
大きな『影』が私の頭上に現れたのだ。さきほどまで確かに晴れていた。雲にしてはおおきな影だ。私は立ち止まった。
遠くで有原が「あっぶね!」と言っているのが聞こえた。「あぶね」ではなく「あ」のあとに小さい「つ」を入れるところが本当に好きじゃない。
というか「置いていくぞ!」といったのは私だ。お前だけ渡り切ろうとするな。

平凡な毎日が崩れるのは一瞬だ。
『有原マジ嫌い』という世界で一番無駄な気持ちの確認が終わった数秒後、仲間のアリたちはパニックに陥った。
いつもは規則性を持って進んでいる交差点の行列は緊急事態のため八の字を書くようにわちゃわちゃとした。スクランブルである。
溝に落ちるもの、慌てふためくもの…。現場は一気に騒然とした。こんな日に、急に現れて日陰を作ったものの正体はなんだ。

私は立ちすくんだ。冷静に…冷静に…と自分を落ち着かせる。

こんな時は深呼吸だ。と恐る恐る空を見上げた。



そこには人間の子供が二匹、こちらを見ていた。同じ顔だ。
同じ顔が二つある。めちゃくちゃ笑っている。


私は空を仰ぎ、妻と娘を想った。


そして「『タワマン』に住みたい。」と強く思った。













登校班の集合場所に娘たちを送る道中、娘たちが言った。
「父さん!父さん!」
相も変わらず声量がバグっている。朝7時の声量ではない。
「なんや、朝から元気やな。」

「みて!アリ!やばくない!?」
そらアリもおるやろ。こんな田舎。アリそのものは全然やばくない。

「なにがやばいん?数が?」

「うん!見て!溝のとこ!」


「おーめっちゃおるなぁ。うじゃうじゃおるなぁ。八の字やなぁ。」







「『アリの東京』やぁ!!ぎゃははははは!!!」




双子は爆笑しながら『アリの東京』を眺めていた。





どこからか「あっぶね!」という声が聞こえた気がした。




おわり。






【ライター紹介】
たにべえ。平成生まれ平成育ち。
2019年春~広島→雲南。
お酒大好き。3児の父。週7バスケのバスケバカ。