空き家を探す

2023年04月10日
ぽんぽこ仮面

大東の日常の中に生きる風呂


私、ぽんぽこ仮面は風呂を好んでいる。
風呂は大変にいいものだ。
日々鞭打たれた身体を包み込み、労いの時間を与えてくれる。

風呂だからこそ聞こえる会話。
風呂だからこそ見える人々の表情。
私は、まちの日常の中に生きる風呂が好きなのだ。

京都の白山湯六条店で銭湯と出会い、
東京は沼袋の一の湯で銭湯の虜となった。
風呂のために各地を巡り、
風呂で各地の人とまちが生きていることを感じてきた。
 

そんな私の島根移住を唯一拒もうとしたのも銭湯。
島根県は銭湯の数が47都道府県中なんと45位という。
絶望した。
心の底から移住をやめようかと考えた。
私にとって、それくらい重要なランキングだった。

しかし日帰り温泉施設の数は9位。
この中にも、きっと私好みの“日常の中に生きる風呂”もあろう。
そう信じ移住した。
 

出雲国風土記(733年)に、
「須我の小川の湯淵の村の川中に温泉あり」
と記された雲南市大東町の海潮温泉。

ここに『桂荘』はある。
大東のまちなかから数分車を走らせたところだ。
 

大きな内風呂がひとつとドライサウナのみ。
シンプルなつくりだ。

耳を澄ませば、湯が流れ入る音。
眼前を包み込むは湯から柔らかくあがる湯気。
そして、聞こえてくる人の会話。

「おお、今日は早いね」
「おお、どうも、お先」
「お疲れさん」

「最近、見んかったね」
「ちょっと、足の手術しててね」

「もうタイヤ替えたか」
「まだだ」
「俺が替えてあげるよ、来週土曜でいいか」

ここにしかないコミュニケーション。
ここで行われる生存確認。
ここにもあった、日常が生きる風呂。
 

観光地のような“非日常”の温泉施設ではなく、
雲南のまちが生きる“日常”の素敵な風呂、桂荘。

私は高らかにこう述べる。
「元気なまちには、良き風呂コミュニティあり」
ただの自論である。
論も証拠もなにもない。
これを机上にも上らない空論とも言う。
 

心身共にポカポカ至極。

雲南の風呂では、風呂上がりに待ち構えるものがいるのを忘れてはいけない。
木次乳業のコーヒー牛乳だ。
「君たちの風呂上がりを待っていたよ。さあ、私を買え。」
と、手招いてくる。

心身に染み渡る風呂上がりのコーヒー牛乳。
最高の風呂のあとに待つ天国。
これほどの贅沢がほかにあろうか。
否、なかなか見つからんであろう。
やみつき間違いなしだ。

ここが300円だというのだから、驚きの波が移住者を襲う。
東京は銭湯料金が500円、サウナもつければ1,000円にもなる。
懐事情が寂し気な私にとっては、大変にありがたい。

しかし、諸君、気を付けてほしい。
シャワーの水圧に大幅な差がある。
相性良きシャワーとの出会いがあることを。
 

【ライター紹介】
ぽんぽこ仮面。京都府与謝野町出身、9年間東京で過ごした後に雲南市へ。
お風呂すき。サウナすき。キャンプすき。
毎日わくわくした大人でいたい教育業界の人。