白築 純さん
東京でミュージシャンとして仕事をしていましたが、自分の生き方に新たな価値観を見出し、 音楽家だけでなく人間として成長したいと思い、 2003年「緑のふるさと協力隊」に応募して、現在の雲南市掛合町で1年間活動しました。
島根は初めての場所でしたが、美しく神秘的なイメージがあったことと、農業以外の体験プログラムも充実していたこともあって、赴任を希望しました。
地域の中に入って1年間いろいろな活動を行い、任期を終えたときに雲南での拠点として古民家を借りたんです。
次の年は「文化人招へい制度」で月に1度、東京から雲南に通っていて、完全に移住したのはその翌年です。
便利ですが、隣近所の人と会話も交わさないような都会での毎日と、行き交う小学生たちに「帰りました!」とあいさつをしてもらう田舎での生活、 どちらで暮らしていきたいかを自らに問いかけたとき、後者を選ぼうと決めたんです。       
職業柄、夜出かけることもあるし生活も不規則。でも我が家は四世代が同居していて、みんなが支えてくれます。
人生、出会うべくして出会うな、というのがこちらに来てからの実感。人も、仕事も、出会うべき時に、そのタイミングで出会う。
それを受け入れていくことが結果的に自分の成長につながっていると思います。     
豊かさの価値観が「緑のふるさと協力隊」の1年間で変わってしまいました。都会では、「経済的な価値」が重視されがちですが、雲南に来て、お金をかけなくてもこころ豊かに暮らせることが分かったんです。
また、ご近所どうしで支え合って暮らしていくという生き方にも感動しました。     
母屋の隣にあった牛小屋を改装して暮らしていらっしゃいます。
母屋はご主人のご両親とお祖母さんの住まいです。
白築さんは、自宅の窓から見える山の風景が大好きなんだそうです。       
田んぼや畑の周りのほかに、集落でも草刈りがあって大変だし、虫も多いですね。
それから、良くも悪くも生活が「丸見え」になるので、プライバシーは都会に比べるとなくなります。
また、主人は消防団など地元のつながりがあるので、仕事以外にもいつも忙しくしているので大変だなと思います。
ただ、苦労することはたくさんあるかもしれないけど、そんなマイナス面を全部集めても余りあるくらい、プラスに感じる面が多いですね。
孤独だと思ったことはこちらに来て一度もないし、冬は苦手だったけど、こちらに来てから冬ならではの「人のあたたかさ」を知ることができました。
訪ねた先でたびたびかけられる「あたーだわ(こたつに当たってゆっくりしていきなさい)」という言葉の響きが大好き。
横のつながりがあるって素敵だと思っています。東京は人は多かったけど、付き合う人の範囲はとても狭かったと今となっては感じています。     
いきなり何もないところから暮らしを始めるというのは大変だし、勇気が必要です。
1年間でも、無理なら1週間でもいいので、まずは実際に来て暮らしてみることが大切だと思います。
四季を感じて、地域の中に入って暮らしてみると、自分に向いているかどうかを判断できると思いますよ。
それから、自分もアドバイスを受けたのですが、住まいを決めるときには「家だけ」を見ないこと。
周りの環境やご近所さんのこともきちんとリサーチしたうえで決めたほうが長続きすると思います。
子育てにも、そしてアーティストとしてのクリエイティブな活動にも、雲南での生活は刺激に満ちていると実感しています。
まず少しからでも体験してみて、最終的に自分にとってベストな場所を「自分で選ぶ」ということが大切ですね。     


【お悔やみ】
白築純さんは令和元年6月7日にお亡くなりになりました。
雲南市に移住されて、明るく、強く、前向きに人生を楽しんでこられた姿に心から敬意を表し、ご冥福をお祈りします。